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戸籍の話 [つぶやき]



 昨年度は身近な親族が亡くなった年であった。


 幽冥境を異にする――この世とあの世に別れること――という言葉があるが、今年になってからも、知人の父君の逝去の連絡を受け、通夜に参列した。


 帰りに元の産婦人科病院が老人介護施設になっているのを見た。これまで何百回となく見ていたはずなのに、通夜の帰りだったせいか、戸籍の事に想いが飛んだ。


 おじさんは、これまで優に千を超える戸籍を見てきた。今では、ほとんど客観的に系図として見ることができるが、昔は夭逝した子の記載があると、その時の両親の心痛に思いを致し、こちらもやるせなくなったものだ。


 数々の戸籍に目を通すうちに、ある折り、夭逝する子はだいたい生後、1ヶ月以内に亡くなっていることに気付いた。おそらく何らかのかの肉体的な欠陥があり、生まれては来たものの、長く生きることは叶わなかったと思われる。


 太平洋戦争前後に出産適齢期?であった人は、5人も6人も生んで、1人か2人亡くなっているケースが多い。


 今は、ほとんどが無事に生まれ、生まれた子はまず育たないという事はない。


 衣食住の環境や医学の発展がその最たる理由だが、もしかしたら劣性遺伝の子は事前に判明し、流産するか、処置をしているのかも知れない。


 大雑把な印象に過ぎないけれども、今は健常な子が多すぎるような気がする。確率的には1割から2割、受精しても生まれない子供、生まれても育たない子供がいると思われる。


 なぜ、こんな事を言うのかというと、今、産婦人科を志す医者の卵が激減しているというからである。


 無事に生まれてあたりまえ、死産になると訴えられ、母子の健康な退院があたりまえ、もしどちらかに何かの傷や障害が残ると訴えられる、というのでは、そんな割の合わない方面を志す人が減少するのは自然な成り行きである。


 これは訴訟国家アメリカの影響が大きい。PL法というらしいが、乳母車に子供を乗せたまま折りたたむと危険と書かなければ、製造した企業が賠償責任を負うことになるようだ。


 こんな事を言わなければならない歪んだ社会が健全であるはずがない。まだ包丁にこれで人を刺すと大けがをするか、死に至る場合があります、や、刃物の方を握ると手を切るおそれがあります、と書かれたものを見たことがない。使い捨てライターがやけに点けづらくなったことを思うと、時間の問題のようにも思えるが、杞憂であって欲しい。


 さて、他の生物と同様に、人も成人になる確率が高いとは言え、100%ではないと言うことを弁えれば、やみくもな訴訟は控えるであろう。


 親の劣性遺伝子を多く受けてしまった受精卵は、生まれる前に流産するというけれども、胎児の状態で心臓の手術をしたり、病気の治療なども行われている事を思うと、これからはそんな被告になる危険を冒す医者はいなくなるのではないか。


 それよりも、思春期に引きこもったり、借金苦や何かで自殺する人を何とかする方に目を向けるべきだ。


 地方議会の共産党や公明党の議員が生活保護などで、よく口をお利きになっているようだが、これも最小限に止めてもらいたい。


 生物の大原則は自分の力で立つことである。


 少子化の現在、3人4人と子供を連れている家族を見かけると、「ごくろうさま」、「ありがとう」と言いたくなる。


 様々に便宜を図り、たくさん子供をつくってよかったと思わせるような社会にしていかなければならない。


 それにはまず景気である。安倍首相の景気対策に批判的な勢力がある。内心、失敗を願っているいるのが実情ではないか。


 しかし、これ以上のデフレ脱却の方途が君たちにあるのか、と問いたい。


 例のごとく、とりとめのない話になった……。




オークション [つぶやき]

 今おじさんは、密かにオークションを楽しんでいる。

 これまで幾つかオークションで買い物をしたことはあった。しかし、出品者としては初めての経験である。

 おじさんの参加しているのはここだ!!と、リンクを貼り付けたり、バナー広告を置きたいのだが、如何せん仕方が分からない。^^;;

 どなたかご指導願えれば有難い。…無理か見ている人がいないもの…

読書の話2 [つぶやき]

 前におじさんの読書量は万を超えていると言った。

 でも、数えた訳ではないし、何処までが読了と言えるかという点も難しいね。たとえば、雑誌はカウントするのかとか、漫画はどうかとか、文庫本なんかには巻末に解説というものがあるが、それを読んでなくても1冊と数えてもいいの? とか、幾らでも突っ込みどころはある。

 週刊誌でも漫画とエロ記事は確実に読むけれども、読まないところもたくさんあるという人がほとんだろう。それを1と数え、漫画を1と数えれば、俺も私も万巻など達成してるさということになる。もちろん、おじさんは皆一冊に数えてもいいし、そういう人達に敬意を表する。

 また、立ち読みはマナーが良くないが、少年漫画なら1冊読んじゃったという者はたくさんいるだろう。それも1冊にカウントしない理由はないよね。

 だから、君たちも万巻を読破した男と女だ。

 

文章を書くのは体力? [つぶやき]

 はっきり言って、ブログの使い方がよく分からない。

 いろいろ読んで少しずつ上達しているとは感じるが、そうすると記事が疎かになる。

 おじさんは本業もまずまず忙しい。その上に何やかやと役を押しつけられる。最初はPTAの役、自治会の役など誰もがどこかでやる役職に始まって、仕事がらみの役が加わり、その役職が徐々に上がり、一泊で会議やイベントに出席したりすることが増えてくる。

 問題なのは、それらがほとんどボランティアということなんだね。最低の交通費とか、笑うような日当などが出ることは出るけれど、仕事をしている方が収入は絶対に多いし、出費もおさえられる。

 だからと言って、その役職に伴う責任は常について回り、結構厳しく追及を受けたりする。おまえがやれという言葉は禁句で、そんな奴にやらせたら組織が混乱することは目に見えている。

 だから収入は減るは、口撃されるで、いことは一つもないにもかかわらず、人からは『好き』だという単語で処理されてしまう。

 しかし、それはいい。おじさんにとって問題なのは、ものを書くという事が日常的で、そんな作業に精力を奪われることなんだ。その人のものを書くという精力が100あるとすれば、普段80も使ってしまえば、ブログに費やせる力はそれほど残らないということなんだよ。

 その100の力がおじさんの倍以上ある人なら、十分余力をもってブログも書き続けることが出来るかも知れないけど、おじさん自身が、若い頃に比べ、70%ぐらいに落ちているから、どんどん差が広がっているように思えてならない。

 先ほど精力と書いたが、文章を綴るのは体力の側面が大なのかも知れない。

読書の話1 [つぶやき]

 何事であれ、継続するというのは大変だね。

 だいたい半年で何でも飽きてくるおじさんも、こと読書という点では長く続いており、読んだ書籍はおそらく万を超えていると思う。

 でもいくら本を読んでいても、それを「生きる」ということに生かせなければ、時間つぶしのパチンコと変わらない。と偉そうに言っては見せているけれど、おじさんも、とても生かせているとは言い難い。

 今は、ネットで情報が即座に得られ、とても便利になった。しかし、その反面、取捨選択ということをしないと、情報の海で迷子になりそうだ。

 ウィキペディアというみんなで作る辞典のようなものがあり、おおよその疑問は解けてしまうよね。普通は、その知識でいいと思うのだが、おじさんは歴史に関してはまるで参考にしていない。その理由はいつか記すときが来ると思うが、今は信じない方が良いとだけ言っておこう。

 だから本を読めとは言わないが、たとえば今、好きな著者や作家があれば、その本に出てくる人物の書籍や作家を追って行くという方法がある。それを繰り返すうちに、いつしか自分の人としての傾向が固まってくる。

 若いころ好きで寝食を忘れて読んでいた小説家の作品が、いま久しぶりに読んでみると、懐かしいだけでさほど心に響かないと言うことがある。

 それは当然なのであって、数十年経って同じように感動していれば、その人の人生は薄いものでしかない。その間の人生経験も、読書歴も、思索時間もほとんど意味がないということだから。

 しかし、だからといって、その期間が無意味であったということではないよ。無意味な経験というものはない。その経験があって今があるんだ。だから昔お世話になった人ということでいいんんだよ。

 ちょっと疲れてきたから、続きは今度・・・。
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